#03 東村アキコ『東京タラレバ娘』


主人公が33歳なので、どうしても『東京タラレバ女』と言い間違えてしまう本作。『海月姫』『かくかくしかじか』がヒットし、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの東村アキコさんの話題作です。どう話題になっているかというと「未婚アラサー女子を全力で殺しにくる漫画」といった具合です。以下、ネタバレ含みます。

「〜だったら」「〜していれば」の「タラレバ」を言い続け、気がつけば33歳。仕事も恋愛もきらびやかな舞台はすべて若い子に持って行かれ、一生独身の可能性に苛まれながら生きている女性の話です。具体的には、昔ダサイという理由でフッた男がいい男になったから近寄ってみれば19歳の同僚にもっていかれたりします。同じく浮いた話が10年はなく、居酒屋で楽しく愚痴を言い合う飲み仲間の女性たちも、不毛な恋愛に溺れていきます。不倫をしたり、元彼の何番目か分からない女になったり。女子会開けば腐るほど転がっている話です。一喜一憂する度に出てくる90年代J-POPや、海外ドラマの話題もリアリティあり過ぎてエグいですね。実写化しそうな漫画です。

 

何かあっただけマシ 何もないほうがマシ
誰からも相手にされないよりはマシ 

一晩の過ちの相手がイケメンだっただけマシ
あの女より顔もスタイルもマシ

やりたい仕事でメシ食えてるだけマシ

もう33歳だけど40オーバーの独身女よりは全然マシ

 

でも いくら「マシ」を数えたって

私の人生 全然 幸せじゃない

 

みうらじゅんの「比較三原則」を教えてあげたいくらいです。ただ、「あるある」だけでは「未婚アラサー女子を全力で殺しにくる漫画」にはなりません。女子会ばっかやってんじゃねェ!!!、とバッサリ言い切る(むしろ斬る)東村さんの化身のような、タラとレバというマスコット(?)や超毒舌イケメンモデルKEYの言葉が刺さります。

 

「おまえの言ってる『安定』って何タラ?」
「当ててやろうか」
「金と名声タラ 結局おまえは男を社会的地位で判断する女なんだっタラ」

 

「酔って転んで男に抱えてもらうのは25歳までだろ。30代は自分で立ち上がれ。もう女の子じゃないんだよ? おたくら」 

 

 「あんたらの歳だとチャンスがピンチなんだよ。

ピンチがチャンスなのは若いうちだけ。

新人じゃないんだから 結果が出せて当たり前」

 

第一線で漫画を描きつつ子育てしつつ、離婚も経験済みな東村さんの言葉といった感じです。キビシイ。そして優しくされたくて不毛な関係に逃げるタラレバ女。今までの文章を見返すと、ありふれ過ぎて俗っぽくチープな作品と思われてしまうかもしれません。しかし、現状本当にこういう感じなのです、アラサーの結婚レースってやつは。それだけ不安を抱え、自分に本当の自信の無い女性が増えているということなのでしょうか。結婚後だって、そんな思考じゃ比較沼から抜けられないでしょうね。私が全く捕われていないとは言いませんが、一度圧倒的な人たちや環境に価値観を壊してもらえば少しは開放されると思います。

 

過去のタラレバ 未来のタラレバ
言ってりゃキリない タラレバ女

わかっちゃいるけど やめられない

夢見ることを やめられない

酒飲んで グチるのを やめられない

女でいることを やめられない

やめたくても やめられない

 

安野モヨコハッピー・マニア』や倉田真由美だめんず・うぉ~か~』など、定期的に流行るこの類いの漫画。各年代で読み比べしてみるのもいいかもしれないですね。該当世代にして、このジャンルはほぼ初めて着手したのでコメントがしにくいですが、今回はここまでにします。3巻ラスト、やっと出来た彼氏に好きな女優と同じ髪型にするよう迫られている主人公の今後を固唾をのんで見守る所存です。


作品名:東京タラレバ娘 1〜3巻 
作者 :東村アキコ

発行所:株式会社 講談社

#02 星野道夫『旅をする木』


「写真を撮り続ける人にとって、そこにいる違和感を強く感じられることはとても大切な資質なんだよ」と、知り合いのカメラマンが言っていた。どうして毎日同じベッドで眠らなければならないのか。その選択肢を避ければ、ものすごい非日常が待っているだろうに…などと、仕事に悩みながらそんなことを考え続けていた20代半ばの私にとって、アラスカを撮り続けた男・星野道夫の本は衝撃的であった。

その頃読んだ本のタイトルは忘れてしまったが、鮮やかな自然や動物達のダイナミックな写真とわかりやすく生き生きとした言葉で日々の変化が綴ってあって、夢中で読んだのを覚えている。中でも著者がアラスカに初めて行った話はとても印象的だった。19歳の時に神田の古本屋で発見したアラスカの写真集の、小さなシシュマレフ村の空撮写真に夢中になってしまい、拙い英語で村長へ「なんでも手伝いますので僕の面倒を誰かみてください」といった内容を送りつけると、なんと歓迎の返事が来たので半年後に本当に行ってしまったのだという。

写真のなかの小さな何も無い村で、見知らぬ人々が実際に生活をしている。この地球のどこかで。そんな当たり前の事が信じられない。だから、見に行きたい。星野道夫はこのような衝動に駆られ、結局アラスカに移り住み、日本人女性と結婚し、カリブーを追い続け、1996年8月8日に43歳の若さでヒグマに喰い殺され生涯を終える。

本書『旅をする木』に、写真や挿絵は一切無い。実際、全くそれらを必要としない。アラスカの歴史を深く学び、動植物の名前の多くを覚え、カメラの眼でつぶさに日々を観察し、人間を拒絶するような大自然の生と死に身を晒し、現地の人々との出会いと別れを胸に刻んだ男の文章は、写真集では語りきれないものを溢れんばかりに伝えてくれる。33篇のどれもに想像を絶する自然や宇宙のスケールの大きさと、命のはかなさが滲んでいた。友人パイロットの死や季節のあっという間の変化に想いを馳せる本人が、本文を書いている2〜3年後に命を落とすのだから辛い。しっかりと文末に記された日付が、私にはカウントダウンにしか見えなかった。

 無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり会えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。

 アラスカの秋は、自分にとって、そんな季節です。

 

                        一九九三年九月五日

 
とはいえ、別に陰鬱な本では決して無い。むしろ深いきらめきに満ちている。忘れられた島に初めて上陸したような、そこで目にした青々とした自然のようなきらめきだ。

クィーン・シャーロット島の、人を埋葬したトーテムポールを取り込むようにして育った大木。その頃北太平洋を航海もしていないのに、17世紀に日本で書かれた北太平洋の地図の謎を嬉々として語るおばあさん。グッチン・インディアンの集会で自然環境や自身の抱える不安を打ち明ける人々が、発言する時に握りしめる白い杖。一万年前と変わらない、ツンドラを覆い尽くすようなカリブーの群れの景色。黒潮が連想させる、クリンギット族の祖先に日本人の血が混じっているのではないかという口承伝説…。

冒険物語の原型があちこち散らばっているようにも見えるが、そもそも私たちが失ったもの(自然への畏怖や動物としての嗅覚のようなもの)が散らばっているのだろう。著者が人生に求めたのは、まぎれも無いその「失ったもの」の手触りだった。

「私たちには、時間と言う壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことの出来る場所だ。これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。人は聖地を創り出すことによって、動植物を神話かすることによって、その土地を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。」                  (ジョセフ・キャンベル)

 
神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉を引用し、ルース氷河の源流に想いを馳せる事が出来る著者を本当に羨ましく思ってしまう。都会生活における比較の視線に心がギスギスし、自分の神聖な場所を創る余裕がないときは、本書をはじめとした星野道夫の本を手に取ることをオススメする。アラスカの自然と生きていく事は本当に厳しいだろうが、もし読んでみていつか行ってみたいと思えたなら、その胸中の大自然が神聖な場所となるかもしれない。そして全てのものが旅の途中であるということを、きっと思い出せることだろう。


書名 :旅をする木(文春文庫)
著者 :星野道夫
発行 :1999年03月10日 第一版
発行所:株式会社文藝春秋

#01 穂村弘『シンジケート』


初めて火を見たときの気持ちを覚えているだろうか。ふと見かけたマネキンの手首が何故ないのか、考えた事は?一人の歌人はこう表現した。

 

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる

彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は


記念すべき1冊目は、現代短歌に興味がある人なら大体知っているであろう穂村弘の『シンジケート』である。1895年に作詩を始め、1986年に連作『シンジケート』で第32回角川短歌賞次席(トップは俵万智だった)。1900年に本作を出版しデビューに至る。ちなみに私の手元にあるのは2006年初版の新装版だ。二人の水兵がパイプを咥え、笑顔で自分の手首の入れ墨を指差すイラストが印象的な表紙である。

穂村弘はファンの間で「ほむほむ」と呼ばれている。呼んでいるこっちが脱力するようなあだ名だ。なぜ50歳を過ぎた男性がこんなあだ名で呼ばれ続けているのかは、氏のエッセイを読めば納得がいくことだろう。さくらももこ的な笑いに近いだろうか、素直でトホホで愛らしい中年男性の日常が綴られている。多くの読者が「あなたはどこの私ですか」と思うのではないだろうか。しかし、短歌の印象はどうだろう。私は穂村弘佐藤真由美『恋する歌音』という、色々な歌人の短歌が載っている本で知った。その時の穂村弘の印象は「ハードボイルドな男」である。「ほむほむ」と「ハードボイルド」。思わず笑ってしまいそう、とまでは言わないが大分離れたイメージである。

 

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は


女の腹なぐり続けて夏のあさ朝顔に転がる黄緑の玉

                      

この二首を読んだとき、私の中で穂村弘北方謙三のような顔になったのだ。今思えば、「ほんとうにおれのもんかよ」の全て平仮名具合は男の弱さや情けなさが出ているのかもしれない。それでも「女の腹なぐり続けて」とくれば怖いだろう。当時女子高生だった私からすればDV男にしか思えなかった。性的な解釈など思いもよらなかった(解釈の正解は未だに知らないが)。

そしてようやく本書『シンジケート』だ。先にエッセイを数冊読んでから着手したので、「ハードボイルド」からは大分イメージが和らいでいる。穂村弘は、かなり乙女である。雑誌「オリーブ」が好きで、ユーミンが好き。女性には守ってもらいたい。そんな人間性を知れば、以下のオチャメ具合も頷ける。

 

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」


「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う

 

本書には短歌の他にも、夢とも詩ともエッセイともつかない不思議な「ごーふる」という作品が収録されている。不思議ではあるが、日常生活の中でふと頭をよぎった気づき、普通はそのまま忘れてしまうようなことがさりげなく織り込まれており、作者の観察眼や心の網の目の細かさに思わず唸ってしまう。そういった視点を笑いに昇華するのが上手い作家と言えば、芥川賞受賞で話題の又吉直樹だろう。彼とも『蚊がいる』というエッセイ集で対談している。その未来に繋がる点の一つであろう一首を引用して、初回の積ん読消化を終えたい。

 

恐ろしいのは鉄棒をいつまでもいつまでも回り続ける子供

 

書名 :シンジケート
著者 :穂村弘
発行 :2006年08月 初版
発行所:株式会社沖積舎